静謐さを求めている

先日、祖父の法事があってお寺へ行ってきました。世間はコロナウィルスの感染拡大の渦中なので、広いお堂の中で最低限のメンバーが集って鳴り響くお経を静かに聞いていました。お堂のなかはとても綺麗で、整っており、かと言って近寄り難い雰囲気でもなくとても空気がよかった。お寺でぼんやりとその場に居てお経が終わるまでたちのぼる煙を眺める、というのがすごく気分転換に感じました。

このコロナ禍になって以降、あまり遠くへいくことがなくなったので、それに伴って時間を自宅や仕事場で過ごすことが急激に増えました。それ以前は、数ヶ月に一回は仕事や趣味で1週間から10日ほど遠出をしていました。わたしは器用な方ではないので旅先で仕事をする、というのが難しいため、その期間は強制的に仕事から離れることができていました。でも、コロナ禍に入って家や仕事場で長く過ごすと「仕事をしすぎてしまう」という悩みが浮かんできていました。メリハリがないというか、なんかずっと思考が切り替わらず、頭でいろんなことが処理中のまま残っている感じだったんです。それでよく眠れなくなっているし、それが積もって体調も芳しくないなぁと何処かでは思っていました。運動や生活の習慣を見直したりもしていたけど、単純に同じことの繰り返しは、簡単なようだけど、やっぱり体調や気分は一定ではないので時に煮詰まってくるもんだなぁと。

そんな時の気分転換の方法を考えていましたが、なかなかしっくりくるものがなく。ランニングも気分転換になるんですが、そういう能動性が必要なパワフルな転換がどうしてもくりだせない時があって、そういう時は逆にあ〜…ふがいない、と落ち込む理由にもなるんです。じぶんのことながら扱いづらいです。でも、こういう複雑さが自分の特性だし、気分転換の方法はいくつあってもいいでしょうと思うので、何かいいものを探していました。お寺でのぼんやりした時間を経て、

あ〜わたしこういう綺麗に整えられた場所でぼんやりしたいんだ〜

と気づきました。半日でも時間をとってどこかでぼんやりしたり本を読んだり、日常から離れた静謐さを感じることを定期的にしていくようにしたいなと考えています。

法事の日の朝のヒヤシンス